箸に受け継がれる「日本の素晴らしい文化と考え方」についてご紹介します

お箸というと、「普段何気なく使っているただの道具の一つ」という印象しか湧かないのではないでしょうか。

かくいう僕自身、あまりにも身近にありすぎる物ですから、特に何も考えることなく当たり前に使い続けてきた「ただの日用品」でしかありませんでした。

しかし先日ふとしたきっかけでお箸の名前の由来を知ることがあり、さらにそこからお箸にまつわるさまざまな話を知るうちに、調和や感謝の気持ちを大切にする日本人精神の素晴らしさを知ることになり、「これが日本人が大切に受けついできた教えなのか」と感激するという出来事がありました。

欧米型の利益優先主義の蔓延により、人や企業の心がすさんできている今のような時代だからこそ、そうした日本の素晴らしい文化や考え方を学び直し、さらにはもう一度取り戻すことが必要だと思いますので、いくつか知りえた話をご紹介させていただきます。

既にご存知の方もおられると思いますが、どうぞお付き合いください。



「お箸」という名前の由来

古来の日本人は「お米は神聖な食べ物であり、神様が宿っている」と考えられていたそうです。

ところがお米に宿る神様には結界が張られており、また自分自身の体も不浄な物から身を守るために結界を張っているため、たがいに結界をとかないかぎりお米を体内に取り入れることができません。

そこでその結界をとくために唱えるのが「頂きます」という言葉なのだそうです。

そして神様が宿るお米を口に運ぶための橋渡しとして作られたのが「お箸」だったということです。

お箸という名前は「橋渡し」からきているんですね。

日本人がどれほどお米を大切にしてきたかがよく分りますし、「食べれることがどれほどありがたいことなのか」を気付かせていただける素晴らしい話だと思いました。


お箸を茶碗の上にのせてはいけない

食事の最中や食事が終了した際、つい茶碗の上にお箸をのせてしまうこともよくあるのですが、これは「神様が宿ったお米が入っている茶碗の上にお箸をのせてしまうと、せっかくの神様とのご縁を切ってしまう」ということで、たいへん失礼にあたるようです。

縁起の話でもあるのでしょうけど「作法として知ってる方が良いな」とも思いますし、なによりほんの些細なことの中にも縁を大事にするとか食べ物への感謝の気持ちを忘れないとか、そういった日本人の細かな心配りが詰まっているような気がします。

ちょっとしたことですが本当に素晴らしいですね。

これも日本人が大切にしている「謙虚さ」が根底にあるからでしょうか。


お箸の帯を切ってはいけない

ちょっと良いご飯屋さんに行くと、お箸に帯が付いていることがあります。

かなりきつく締まっていることが多く、またその帯が紙で出来ていることもあって、僕はついついその帯を破ってお箸を使ってしまうことが多かったのですが、じつはこれお店の方からの「お客様とお店の間に良いご縁が続きますように」という願いを表したものだそうで、それを破ってしまうとせっかくのご縁を切ってしまう行為になるんだそうです。

それもまた大変失礼な行為になってしまいますから、けっして帯を切らない気遣いを持ちたいものです。

ましてやお店の方がこのご縁の話を知った上で帯付きのお箸を出されているとしたらお客としても大変うれしいことですから、店主のその気遣いにはぜひこちらもお応えしたいものですね。



まとめ

さていかがだったでしょうか。

僕自身はいずれも知らない話ばかりで、自らの礼儀作法の知らなさに恥ずかしさを覚えましたが、恐らく僕の世代より後の若い方々はもっと知らいないことだろうとも思います。

ですが、こうした日本独自の文化・礼儀・作法の中に人として大切に身に付けておくべきものがたくさんあるようにも思いますので、自分が知りえた話はどんどん伝えていこうと思いますし、またまだまだ知らないことについても出来る限り興味を持って知る努力をしてみようと思います。合掌




■日々是好日
継続の大切さをお伝えするために月一回執筆しているブログ名です。
「今のこの一瞬を精一杯に生きる」
「この積み重ねが一日となれば、それは素晴らしい一日となる」
という意味になります。