会社が作成しているHPや資料には一部ご本人による記載もあるのですが、分子栄養学の母とも言えるアデル・デービスとウイズサプリメントの設計者である高原征一先生には、、直接的ではないものの、少なからず関りがあったことが明かされています。
どのようなものかというと、実は日本人で最初にアデルデービスの資料の翻訳に取り掛かられたのが高原先生だったそうです。
その経緯について少しご案内してみようと思います。
■○永アメリカの支社長より翻訳を依頼される
ウイズサプリメントを設計された高原先生は、元々は国内中堅製薬メーカーである○永製薬で薬を設計されていた方になります。記憶違いでなければ、熊本大学在学中には国からの要請を受けて水俣病の調査員をされるほど優秀な方でもあったようです。
そして○永製薬で薬の設計に従事されている中で、ある日(昭和50年代前半の頃だと思われます)○永アメリカの支社長を務められていた先輩から
「いまアメリカでは薬ではなく栄養で体を治そうという流れになっているのを知っているか?」
「そのためにアデル・デービスという管理栄養士によって膨大なデータもとられていて、これからそれが纏められていく段階になっているのだが、じつはそのアデル・デービスが書きなぐった膨大な資料のコピーが私の手元にある」
「君ならそれを翻訳して纏められると思うのだけどやってみないか?」
と依頼されたそうです。
■薬の限界を感じて翻訳に取り掛かられることに
一方先輩からの申し出を受けた当時の高原先生はと言えば、水俣病の調査で目の当たりにした毒物による健康被害の悲惨さがあまりに衝撃的過ぎて、ちょうど薬による治療に疑問や限界を感じておられた時期だったようです。
というのも石油から作られる薬は、結局どこまで行っても毒で有る部分を完全に取り除くことは出来なかったからです。
ですから薬は状況に応じて一時的に使用する分には良いものの、やはり根本的な治療となると栄養素療法の方が安全で効果的だろうとの考えから、その可能性を確かめるためにも先輩の申し出を受諾。概ねそのような経緯から、翻訳と纏めに取り掛かられるようになったようです。
■先輩の突然の事故で翻訳を断念することに
ところが翻訳に取り掛かられてからしばらくしてからのこと。
翻訳を依頼された○永アメリカの支社長が、交通事故によって突然お亡くなりになられたそうです。
そのことがきっかけで急遽翻訳を行うことを断念。恐らく資料の所有権などの問題か、若しくは書籍化するにあたり必要な出版料が用意できなくなったといったようなことが理由だったのではないかと個人的には考えます。
その後翻訳と纏めは別の方が行われることになり、何とか書籍化されることになりました。それが下の写真の健康家族新書になります。

■翻訳に携わった知識を活かして良質のサプリメントを設計されることに
資料の翻訳化には最後まで関われなかったものの、栄養に関する詳細なデータや可能性を知る所となった高原先生は、その後「薬の設計」から「サプリメントの設計」へと自身の追及される分野を移され、更に栄養学の研究を続けられています。
その証の一つとして「高原氏一・分子栄養学」で検索すれば高原先生が分子整合栄養医学協会の理事を務められていることも出てきますし、またハーブの分野についても国内随一の研究者という事で、ドラッグストアに行けばどこでも見られるニンニクの成分をベースにした第三医薬品キョーレオピンも実は○永製薬時代に設計された高原先生の代表的な製品になりますから、至る所で高原先生の栄養に対する想いというものが形として見えるようになっています。
そして現在に至るまでにあらゆるメーカーから依頼を受け、およそ400種類のサプリメント設計に携わってこられたという事ですが、その設計数は国内ではダントツの数であり、サプリメント設計の第一人者として業界内では知られた方になるということです。
■ウイズクリニカルサプリメントにはアデル・デービスのデータが活用されています
そしてその高原先生が「人生最後の集大成」として設計されたのがウイズのクリニカルサプリメントシリーズになります。
このサプリメントにはアデル・デービスによって集められたデータを基にしながら、厚労省が公表している一日の推奨摂取量などと照らし合わせながら日本人に適した成分配合が行われています。
会社から送られてくる資料の中にも
「ウイズサプリメントの設計にあたっては、アデル・デービスが集めたデータの翻訳が私の設計の土台になっている」
といったような高原先生の談があり、ウイズサプリメントにはアデル・デービスによって集められたデータが深く反映されていることが分かるものとなっています。
