昭和だからこその話が気持ちを和ませてくれます

父親が中学を卒業した後の話になるのですが、実家が田舎だったこともあり、父は高校にはいかず東京に出て働き始めたそうです。
その際相部屋で一緒に寝泊まりしていた同僚に、布団の下に隠していた自身の全財産をもって夜逃げをされたらしく、給料日がくるまでお金がなくて困ったことがあったそうです。
またその後しばらくして今度は父が実家との連絡を取らなくなった時期が続いたそうで、音信不通になったことを心配したおじいさんが「息子がたこ部屋に売られたかもしれない」と慌てふためき、知り合いという知り合いに頼んで父親の捜索をしてもらい、それはもう大変な大騒ぎになったことがあったとも聞いています。

母は昭和20年代前半の生まれになるのですが、兵庫県と岡山の県境に位置する田舎に住んでいて、「幼少期の頃はほんとうに食べ物が無かった」と言っていました。
ですからイナゴも食べていたそうです。
「よくあんなもの食べてたなあ~」
「でもあの頃はそれくらい食べ物がなかったなあ~」
と言っていたことを思い出します。

そして母の兄にあたる人からは
「わしが子供の頃に妹と一緒に田んぼのあぜ道を歩いてたらな、後ろでドスンという音がしたんや」
「それでどないしたんやって振り返ったら妹が消えてたんや」
「よう見たら田んぼの用水路に妹が落ちてたんや」
「あの頃はみんな栄養失調で鳥目になってたんやな」
「夕方になって目が見えんようになってたみたいや」
という話を教えてもらいました。

母方のおじいちゃんはいわゆる絵にかいたような頑固じいちゃんでした。
ちゃぶ台をひっくり返すようない勢いのある人でしたが、孫である自分達にはとても優しいおじいちゃんでした。
そのおじいちゃんは戦争に行っていて、軍の将校の運転手を務めていたと聞いています。
そしてその戦争が終結。
地元に戻る際、自分が運転し続けた車を海に沈めて帰ってきたそうですが、後になって「あの時の車は海になんて沈めずに、乗って帰ってくればよかった」と随分悔しがったそうです。

姉の旦那さんのお父さんは結婚した直後、まだ車も持っていないのに、先に船を購入してお母さんにめちゃくちゃ怒られたそうです。
「船より車でしょ!!」と。
当たり前ですよね。
そのせいで恐らく離婚にも発展しかねないほど揉めに揉めたのではないかと姉の旦那さんは言っていました。
今の時代でそのようなことをすればそれこそ間違いなく即離婚になりそうな気がします。

どの話もその時の当人たちはそれこそ必死だったり大変だったりしたのだろうとは思いますが、時代が変わり生活が豊かになった今となってはそれがいい笑い話として楽しませてもらえるものに変わっているのが面白い所です。
平成や令和の時代ではありえない昭和独自のエピソードが、何か気持ちをほっこりさせてくれますね。