笑いや笑顔は安心して暮らせる日常があってこそ

穏やかな年明けを迎えられたと思った矢先の大地震。
「能登で発生した」とのニュースが流れるのと同時くらいだったと思いますが、遠く離れた姫路でも2分近くも微振動が感じられ、今回の地震規模がいかに大きなものであったか身をもって知ることとなりました。
その時一緒にいた父親はわずかに揺れがあったことに気付いていなかったようですが、僕自身は少し恐怖を感じた2分間でした。
思い返せば27年前。
神戸の震災の時は自分自身社会人1年目で、地震発生の際には大きな工場の3階(通常の建物であれば6階の高さに相当)で働いていて、巨大なコンクリートの壁が蛇のようにうねっていたことを今でもはっきりと覚えています。
あまりの揺れの激しさに恐怖すら感じることもなく、ただ立っているだけで精一杯でしたが、揺れが収まってから工場4階に設置されていた震度計の値を確認したところ震度7を記録。
もし建物の耐震性が脆弱なものであれば建物は崩壊し、その下敷きになって大怪我をしていたか最悪の場合命を落としていたかもしれません。
それを思えば今回被災された方々の悲痛な想いや厳しい寒さの中での避難生活の大変さに心が痛みます。
そのような回想をしながらこの記事を書いているのが1月12日。
地震発生から2週間近く経ち、その能登半島が実際にどのような状態になっているか気になるところでしたが、偶然にも今日「先日救援物資を届けてきた」という方にお会いし、ほんの少しだけお話を聞かせていただくことが出来ました。
その方は姫路の方なので姫路から能登半島までは通常で6時間。
しかし今は道が寸断されている上、能登半島の先端に通ずる道の本数が少ないこともあってなかなか進むことが出来ず、8時間以上の時間がかかったそうです。
そして通行規制がかかっている可能性があるから、「行ったは良いけど物資を届けることなく途中で引き返さないといけないかも」という懸念もあったそうですが、何とかお知り合いの方のところまではたどり着き、救援物資を届けられたそうです。
ですがそのお知り合いの方の家は完全につぶれてしまってどうにもならない状態。
何か手助けしたくてもどうにもやりようがなく、また現地に長居すること自体が復旧作業の足手まといになる可能性が高いということで、気になることはたくさんあるものの足早に帰ってこられたということでした。
やはりかなりの惨状のようですし、また北陸は非常に寒い地域ですから連日かなりの積雪もみられる状態です。
そのようななか地理的にも交通状況的にも、人も物資も往来が難しく、復旧・復興作業は遅々として進まないということですから、被災されている方々の肉体的・精神的な負担はかなり大きなものがあると思われます。
遠く離れた姫路にいて何かできるわけではありませんが、被災された方々が一日でも早く元の生活に戻れることを祈るばかりです。
ところで今回救援物資を届けられた方は東北震災の時にもボランティア活動で数日間宮城に留まられていたそうですが、その時に行われていた活動というのが「被災された方々に静岡の美味しい日本茶をお出しする」ことと、「被災された方々のお話をただただ聞かせていただく」というものだったそうです。
一瞬失礼にも「たったそれだけ?」「もっと復興に直接的に役立つ活動の方が良かったのでは!?」と思ったのですが、その活動は大好評でたちまち大行列が出来、人によっては何度も何度も御代わりを求めて並ばれていたということでした。
ですからこうしたお話を聞かせていただくと、あらゆるものを失った時、人が心底求めるのは贅沢とか物質的なものではなく、ほんのひと時の安堵感なのかもしれないということに気付かされますし、人の幸せの原点は何気ない日常の中にこそあるという事を教えられているようにも思います。
またその東北震災の際、「被災された方々に笑顔と笑いを」的な発言をし、漫才などで東北の方々を勇気づけようとしていた芸人さんが何人もおられましたが、同じく芸人であるビートたけしさんが「笑いというのは食べ物に困ることなく安心して寝られる家があってこそのものであって、被災中の人に必要なのはお笑いじゃないんだよ。それよりもまずは安心できる暮らしを取り戻すことが先決」といったような発言をされていて、僕自身もその話に非常に共感したことを覚えています。
たしかに笑いや笑顔というのは安心して暮らせる日常があってこそのものですから、考えてみれば平穏無事で過ごせることほど有難いことはないはずで、ただその価値には誰しもなかなか気付きにくいものです。
だからこそこうした災害が起きた際に、その価値に気付こうとする意識を持つことがとても大事なように思います。