「余命半年」の末期がん宣告を受けた父の生き方が180度変わり     10年経った今も元気に一人暮らししています

前立腺と背骨にがんが見つかり、担当医から

「治療法はありません」

「余命半年です」

と言われてからはや10年。

ホルモン剤を飲み続けた程度でとくに治療もしてこなかった父ですが、80歳を過ぎたいまも一人で元気に田舎暮らしをしています。


宣告当初はさすがに本人も落ち込んでいましたが、一ヶ月ほど経ったあたりから急に吹っ切れたように表情が変わり、とつぜん家の庭に木を植え始めたり、お世話になった宗教法人が所有している山を開拓して公園を作り始めたりするようになりました。
それまでは口を開けば僕に対する注意や説教か、お金に対する不安しか言わなかったので、とにかく究極にめんどくさくい人だったのですが、本気で死を意識するようになってからようやく「自分のやりたいこと」に気付いたのか、悔いを残さないように出来ることはぜーんぶやろうとしてるみたいです。

お陰で全くの別人かと思うほど考え方が柔軟になりましたし、マイナスなことも言わなくなって付き合いしやすい親へと変わってくれました。



宗教法人の山の開拓も当初は一人で行ってたみたいですが、共感してくださったうちの何人かが手伝ってくれるるようにもなり、その助けもあって開拓を始めて10年近く経った今ではきれいな公園が完成。人が集う憩いの場所になっているそうです。

僕に対しては口数が少ない人なので、この公園の話は本人以外の人から教えてもらって知ったのですが、とにかく人に喜んでもらえることが本人の生きがいになってホッとしているところです。


会社時代の父は役職上非常につらい立場にいたようで、趣味もなければ悩みを相談できる相手もおらず、常に自分を押し殺して生きてきたような人でした。

僕に対して無口だったのも、会社人として染み付いた生き方がそうさせていたのであったことは今になってわかりますが、そうした無理の蓄積が「がんを生んだのだろう」と思います。

それが損得やしがらみなどを抜きにした自由な生き方ができるようになったことでストレスが無くなり、がんの進行も緩やかになったのでしょう。未だに一人暮らし出来ているのもそのお陰だと思います。



今の時代「自分らしく自由に生きる事」は簡単ではありませんし非常に勇気のいることですが、それでもどこかでそれを取り戻さなければいけないことは誰もが薄々気付き始めていることではないでしょうか。


「やりたいことをやる」


ということの中に、実は何にも代えがたい大切な物があるのだということを、父の生き方から教わったような気がします。