自分の子供に対して十分な支援をしてあげられなくて、悩んだり悔んだりされている方って結構多いですよね。
つい先日も、
事情があって学生の子供と離れて暮らしている人が
「わたしは子供に何もしてあげられてなくて」
「学業は進んでないみたいだし、生活状況もお世辞にも良いとは言えなさそうな感じだし」
「このままあの子が良い人生を歩めなかったとしたら、それは私のせいかなと思って申し訳なくて」
「もっと私があの子を助けてやれてたら良かったのに・・・・・・」
なんて悩みを僕に話してくれました。
よほど悩んだり責任を感じられてたんでしょうね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
だけど、こんな有名な話がありまして、
ある双子の兄弟がいます。
その双子の兄弟は母親がおらず、男親に育てられたのですが、この男親はろくでもない人で、子供に暴力をふるったりまともに食事をさせなかったりして、この双子の兄弟はとてもすさんだ幼少期を過ごしました。
そんな二人も年月が立ち、やがて成年へと育っていきます。
しかし二人の歩みは全く違っていて、
一人は弁護士に
もう一人はマフィア
という、正反対の生き方をするようになっていました。
まったく同じ環境に育った双子の兄弟なのに。
いったいどうしてこんなにも違いが・・・・・・・・・・・・・・。
そう思ったある人が、この二人に対して
「いったいどうしてあなたはそのような生き方をするようになったのですか?」
と尋ねるのですが、二人の答えは全く同じ
「あんな父親に育てられたらこうなるでしょう」
というものだったそうです。
さてこの話どうですか。
片や父親のダメな部分を反面教師にしてまっとうな人生を歩み、
片や「父親がダメな人だったから」とすべてを父親のせいにして道を踏み外していく
というこの違いはいったいどこから生まれたのか。
辛い環境は同じです。
だけど違ったのは「事実の捉え方」ですよね。
そしてこれまたすごく有名なのですが、
事実は一つ 解釈は無数
という言葉がありまして、
意味は読んで字のごとくなのですが、この言葉の真意は
解釈の仕方がその人の生き方や人生の質を決めていく
という所にあります。
この双子の兄弟の生き方や人生の質を決めてしまったのはまさにその解釈の仕方にあったわけですから、「環境が悪いから自分の人生がうまくいかない」というのは単なる言い訳でしかないというのが事実ではないでしょうか。
ですから冒頭の「子供に何も支援してやれない」という方の悩みについても、確かに良い環境を与えてやれないことや直接的な手助けを何もしてやれないことへの罪悪感・申し訳なさを持つ気持ちはよく分かりますが、でも子供に本当にしてやらないといけないことは「何事もすべては自己責任」という主体的な視点や物事の考え方を教えてやることではないかと思います。
じっさい育った家庭環境が悪かった人なんていっぱいいますし、そんな環境下で育っても社会に出て立派に活躍されている方もたくさんおられますからね。
僕もそんな知り合いが何人かいますが、そういう方はみな主体的に物事をとらえられ、何か問題が起きても決して他人や環境のせいにされるなんてことはありませんでした。
ちゃんと自分の努力で解決しようとされるんですよね。
お子さんには将来どのような人物へと育ってほしいのか?
と考えれば、こんな主体的で自己責任感を持った人物ではないでしょうか。
だから何もしてやれないことを悔やんだり自分を責めたりしなくていいですし、むしろ「私が悪い」なんて思わないほうが良いんです。(そんな罪悪感いっぱいの悲しい顔をした親の姿を見せられたら、子供も辛くなりますから)
そんなことよりも、親である自分自身がとにかく日々一生懸命に生きている姿を、ただただ子供に見せてあげるだけで十分じゃないですかね。
それが本当の教育であり親の務めなんじゃないかなあ~と僕は思います(子供もいないのに偉そうに言ってゴメンナサーイ(。-人-。) ゴメンネ でも堂々とした生き様を見せてやってください( ̄ー ̄)ニヤリ)