人生最高の瞬間は、いつ来るかわからない

このタイトル。
じつはPHPという書籍に掲載されていた、お笑いコンビ「錦鯉」のインタビュー紹介に付けられたタイトルなんです。



錦鯉と言うと芸歴26年にもなるのに、同期のタカアンドトシなどと違って全くうだつが上がらず、売れていないことで取り上げられることが殆どの、「才能の無いかわいそうな芸人の代表」みたいな扱いを長らくされていました。

「この人たちいつ辞めるんだろう」

「早く踏ん切り付けたらいいのに」

とすら思われていて、傍目で見ても「みじめやなあ~」という状況がずーっと続いるようなそんな悲しいコンビした。



ところが2021年の12月。
お笑いの日本一を決める大会M-1グランプリで見事に優勝。



苦労しっぱなしだった2人を知る審査員の芸人たちも、長年の努力が報われたことに感激して涙を流すなど、いつの間にか多くの方々の支持を集めてのこの優勝が大きな話題となりました。
今や「中年の星」とまで言われていて、努力はいつか報われることの代名詞的な存在にまでなっています。



その錦鯉。
ふつうならとっくに辞めているはずの芸人をなぜ諦めずに続けることができたのか?
についてインタビューで答えているのですが、それがなんと

「辞める勇気がなくてダラダラやってただけ」

「だから他の人に申し訳ない」

「元々野心があるタイプでもないし、売れない時期が長くて幸せや夢のハードルが低くなってるから、ちょっとしたことでも毎日を楽しく過ごせてしまい、気付いたら40を過ぎてた」

という思ってもみない回答。




「死ぬほど頑張った」

とか

「絶対諦めない気持ちで背水の陣で臨みました」

とか、そんなんじゃないんですよね。
「えっそれだけ?」と拍子抜けしてしまいますが、それでもいつの間にかM-1で優勝しているのだから、継続の力って想像する以上に凄いものですね。



だけどこんなマイペースな生き方でも夢を叶えることができるのだから、それこそ夢がある話じゃないでしょうか。
特別な才能であったり、決死の決意がなければ何も叶えられないというのでは、凡人の殆どはきっと何もなしえることができないですからね。



凡人には凡人なりの夢の叶え方があることをを見せてくれた錦鯉の生き方には、もしかしたら多くの人が救われる部分があるのかもしれません。



ところでこの話が掲載されているPHP書籍には浅田慈照さんという高野山の尼僧さんの話も掲載されているのですが、その中に

「人間は生きてきたようにしか死ねない」

「もう亡くなるからといって人間そんな都合よく変われるものではありません」

という話が出てきます。




これは他人であっても自分であってもありのままを肯定するしかない・受け入れるしかない。
それこそが仏教の教えであり大切なことであることを話されているのですが、錦鯉はまさに自分たちの一見ダメと思われがちな部分をも受け入れて肯定することができたから、周囲の人の辛辣な意見や視線にも負けることなく、芸人を続けることができたのかなあと思います。




そして26年も経ってからの突然の大成功。
諦めることさえしなければ、人生最高の瞬間というのはほんとにいつ来るのかわからないものです。



ありのままの自分を受け入れることさえできたら、誰にでも可能性があるのだという事を見せてくれた、素晴らしいお手本ではないでしょうか。