バブル崩壊でも影響を受けなかった造園屋さんから教えていただいた「稼ぐよりも大切なこと」

最近、日本の若者が海外に出稼ぎに出向いているニュースがよく取り上げられるようになりましたね。

日本では見習いのすし職人だった人がアメリカに渡り、すし屋で起業したらほんの数年で年収8000万円になった話などは特にもてはやされて色んな宣伝媒体でその話が取り上げられています。

時代や状況に応じて柔軟に対応し、力強く生き抜いていく姿勢は大変素晴らしいと思いますし、また大変重要なことだと思いますから、これはこれで良い一面もあると思います。




とは言え、「お金を稼いでいる」という一面だけを取り上げてそれを持ち上げるような報道の仕方については非常に危機感を覚えますし間違っていると思います。

なぜそう思うのかというと、ある造園屋さんの話が忘れられないからです。



その造園屋さんは、僕の同級生の家がやっている個人規模の造園屋さんで、先代を務められたのお父さんとは行きつけのコーヒー屋さんでよく会う仲なのですが、ある時
「造園業と言うとバブル崩壊の時に公共事業が減って倒産した会社がたくさんあったと聞いてますが、今もずーっと変わらず地元でご活躍されてて凄いですね。長く商売を続ける秘訣みたいなものがなにかあるんですか?」

と聞いてみたことがあります。




そうするとそのお父さんは

「公共事業でつぶれた造園屋さんていうのは、じつはその大半が元々個人宅の庭仕事を請け負ってた会社でね」

「それがバブルが始まったころに急激に増えた公共事業の儲けが良かったから、みんな個人の仕事を断って公共事業に行っちゃたんよ」

「だけどその数年後にバブルがはじけて結局公共事業も減ったでしょ」

「そうなるとみんなまた個人宅の仕事で生計を立てようとしたんだけど、一度断った個人さんって別の造園屋さんに頼んで手入れしてもらってるから、もうそこに割って入ることができんようになってね」

「それで公共事業も個人宅からも仕事が取れなくなって潰れてしまってるんよね」

「うちは個人さんのお陰でずーっと成り立ってきてたから、いくら儲かるからと言っても個人さんをお断りすることは出来なくて、公共事業を一切やらなかっただけなんや」

「でもそのお陰で、息子に代を譲っても今もずーっと仕事を頂くことができてるんや」

「うちがあるのは個人さんのお陰やね」



と、こんなお話をしてくれました。

なんか「はっ」っとさせられますね。



僕もこのお話を聞いてから「お金を稼ぐということはもちろん大事だけど、お金を稼ぐだけになってはいけなくて、やっぱり稼ぐ以上に何か大事なものを見つけておかないといけないな」と思うようになりました。やっぱり単に稼ぐだけでは「お金の切れ目が縁の切れ目」になりやすいし、そういう生き方だと長くは繁栄しないんだなあという事にも気付かせていただきました。
だからお金を稼いでいることだけをもてはやす報道に違和感と不快感をすごくすごく感じます。



そういえば先日みたニュースの中に、「地元に帰ってきて地元繁栄のために頑張ってくれる学生さんには、無利子で学費をお貸しします」という地方自治体の試みについて見かけました。これすごく良いお話だと思います。
こんな風に地元の為とか、社会全体のためにといった理念がしっかりある上で物事を捉え行動する人や企業が増えてくれれば良いなと思いますし、そうなればもっともっと世の中良くなりますよね。



「稼ぐことだけに捉われないようにしなくては」と強く思うところです。