「非効率の大切さ」というものがある事も学ぶべきではないでしょうか


効率化というものが何よりも求められる時代になっていますね。
調べてみると効率化というのは「節約」のことであり、もう少し具体的に言うと「無駄を省いて少ない労力で大きな成果をあげる」ことを表した言葉になるようです。
この言葉は特にビジネスシーンにおいて使われることが多く、一見非の打ちどころのない理に叶った考え方に思えるため、効率化を推し進める企業や世の中を正しいものと捉える人が多いように思います。
しかし効率化という考え方や行いは、必ずしも正しいものということが言えるのでしょうか。
その疑問を特に表面化させていると思えるのが物流業界です。
というのが私自身、お金が必要だったことと社会勉強も兼ねて一時期佐川急便の配送センターでバイトをしていたことがあったからこそ分かったことなのですが、「発注されたものを翌日届ける」という効率化の代名詞のようなサービスを成り立たせるため、とにかく物流業界に従事されている方々にはとてつもないしわ寄せがきていました。
いつ倒れてもおかしくないほどの業務量が日々当たり前のように課され続けていて、それはもう本当に想像をはるかに上回る大変さでした。
便利なサービスを受けられるようになったことはサービス利用者側からすればとてもありがたい事ですが、反面それを支える人達のあまりの負担の大きさを自らも実感することになり、効率化の矛盾というものを強く感じるようになりました。
ハッキリ言って現場の方々は人の心を無くすほどの激務に追われていますから、効率化が進み、便利な世の中になればなるほどどこかでそのしわ寄せを受けている人がいるかもしれないことは誰もが認識しておくべきことだと思います。
また現在日本一の企業であり、効率化の筆頭企業であるトヨタ自動車にしても、製造ラインの人は半径50センチ程度の範囲しか動いてはいけないと言われいる話は有名で、秒単位での作業管理も行われているということですから、人間でありながら機械のように作業をこなし続けなければいけないその仕事環境は、経営者や株主はともかく、直接作業に携わる方にとっては手放しで喜べるようなものではなさそうです。
むしろ負荷の大きさばかりを感じている人が大半を占めているとも言われています。
じっさい精神を壊してしまう人も少なくないと言いますから、いくら効率化を突き詰めたおかげで世界一の自動車メーカーにまで上り詰め、高い給料と充実した福利厚生を実現できるようになったといっても、その恩恵と同じだけの負担が誰かにかかってしまう現実を知ってしまうと、行き過ぎる効率化の流れにむしろ危機感を覚えてしまいます。もちろん決してトヨタ自動車のやり方が悪いという訳でもないのですが、ただ何事も過ぎたるものは毒になってしまいますから、ちょっとしたゆとりとの適度な兼ね合いを社会全体で意識してくことはこれから必要になってくるのではないでしょうか。
でないと世の中便利になる一方で、ますます犠牲になる人が増えてしまうような気がしてなりません。
そして皮肉なことであり、非常に重要視した方が良いと思うのが、世界でも特に効率化を推し進めてきたであろうアメリカがその危険性を察知しているということです。
じつは近年のアメリカの一部の大企業は昭和時代の日本の会社を見習い、食事会などを始めとしたさまざまな社内イベントを企画し、社員同士の絆を深め、社内の雰囲気を良くすることにこそ力を入れるようになってきているそうです。
その理由というのが「効率化を図る以上に社員同士の結束力を高めることの方がより大きな成果に繋がっていくから」だそうで、昭和時代の経済の強かった日本を徹底的に分析していくと、その強さの秘密がじつは本来の業務以外の非効率な所にあったということです。
これは一言で言えば「日本企業は人を大切にしてきた」ということであり「だからこそ世界一の経済大国になれた」ということなのだと思うのですが、近年の日本は人も企業も効率化という一見見栄えの良い言葉にばかり目を奪われて、「人を大切にする」ということが完全に置き去りにされてしまっているように感じられます。
このことは経済のみならず、あらゆる面において全く浮上することが出来ない今の日本の本当の問題がじつは効率化が進められないからではなく、人を機械のように扱い、大切にしなくなったからかもしれないことを深く考えさせられるお話で、効率化ばかりを叫ぶ日本の現状に警鐘を鳴らすものとなっています。
「無駄を省く」「少ない労力で大きな成果を上げる」ということは確かに素晴らしいことです。
ですがただそれだけを追求してしまうと必ずどこかに大きな歪みが生まれてしまうというのがこの世の法則なのだと思います。
ですから一見無駄とも思えるゆとりや遊び心の中にあるものの価値にも目を向けて、人を大事にする世の中にもう一度回帰していく必要性を強く感じてしまいます。
それは恐らく多くの方々も無意識のうちに望まれていることなのではないでしょうか。