「海がきれいになり過ぎて魚が獲れなくなった」という話しがここ数年急浮上しています でも本当の原因はきっと他にあります

国産の魚を見かけることが減りましたね

ここ数年。

スーパーに買い物に行っても国産の魚が激減して、輸入された海外の魚を見ることが多くなりました。

播磨地域の名産「いかなごのくぎ煮」なんかも以前は当たり前のように食べられていたのに、近年はいかなごの不漁で貴重な食べ物になってきました。

大衆魚と言われたイワシもほんとに見なくなりましたし、サンマが高騰した時期などもありましたね。

「ほんとうに海の魚が激減してるなあ~」と感じることが増えています。


魚が減ってるのは「海がきれいになり過ぎていることが原因」と一般的には言われています・・・・が本当の原因は他にあると思います

「じゃあその原因はなんなのか?」

ということがとても大事だと思うのですが、テレビの特集やネット検索を見てみると、

・おそらく下水道の普及や、工場の排水規制の影響です。
・家庭や工場から流れ出た廃水の中には、窒素やリンといったプランクトンや魚の餌もたくさん含まれていました。
・でもその排水をあまりにきれいにし過ぎたために海の栄養低下を招き、結果魚が激減した

ということが盛んに言われています。

こうした内容の事は少なくとも3年ほど前から言われていることで、その対策として

「洗剤にリンを使用することを再開しては?」

といった声も上がっていると言います。


ですが、僕は個人的にこの話は

「8割方間違っている」

と思っていて、おそらく生活排水の綺麗さが原因になってる部分はほんの僅かで、本当の原因は

「山の手入れをしなくなったから」

だと推測しています。


山の手入れをしないとどのような問題が起こるのか?

知り合いのブルーベリー農家さんに教えてもらった事ですが、

「昔は薪を取るために皆山に入っていた」

「それで絶妙な間隔で木を切ることによって山の中に光が差し込み、それによって落ちた葉っぱが栄養たっぷりの質の良い腐葉土となり、更には柔らかい土質を作り、山の保水力も高めて洪水の危険性を軽減したり一年中安定して川に水が流れるようになっていた」

「しかし戦後大量の針葉樹を植林してしまったために山には葉っぱが落ちなくなり、薪を使わなくなったため間伐も行われず、山は荒れてしまい、土には栄養がなく、保水力も大きく落ちてしまった」

「だから近年は雨が降るとすぐに川が増水するし、かと言って一年通してみれば川の水量は激減している」

「お役人は本などで培った知識はあるかもしれないけど、経験からくる本物の生きた知識を持っている人はいないから、対策が的外れだったり、そもそもこの現状の深刻さが分っていない」

「わしらが子供の頃はこの目の前の川だって豊かな水とたくさんの魚で溢れてたんやけどなぁ~」

と、こんなお話をしていただきました。


そういえば僕の家の近くに流れる一級河川「揖保川」も、僕が子供の頃に比べると水量が1/5以下にまで激減しています。

姫路方面に向かう途中に通過するいくつかの川を見ていても本当に水量が少なくて、川によっては完全に枯渇してしまっているところもあります。


そういう状況を思い返してみると、ブルーベリー農家さんに教えてもらった

「山の手入れをしなくなった為に山の保水力が無くなった」

というお話が物凄く心に突き刺ささります。


よくよく注意して車を走らせていると至る所で川の水が激減している状況が見えてくるので、皆さんも意識して川の様子を確認してみてください。


山が荒れたから海の豊かさが失われたのでは!?

山が荒れ、土の栄養価が下がり、更には山から流れ出る水の量が50年前や100年前に比べて1/5とか1/10程度になってしまうと、当然のことながら海に流れ着く水の量も栄養の量も激減していることになります。

「海の生き物は山の豊かさによって支えられている」

というお話をずいぶん前に聞いたような気がしますが、山と共に生活を続けられている農家さんのお話を聞いてしまうと、

「本当にそうなんだろうなあ~」

と思いますし、魚や海藻が棲めなくなりつつある今の海の状況を改善するには、「窒素やリンを排水しよう」といったそんな短絡的な方法ではなく、

時間をかけて山を整備し、豊かな山から豊かな海を作り出す循環をもう一度作り直す必要がある

のではと思います。

そういうことを本気で考えなければいけない時代に、もうすでに突入しているのかもしれませんね。


少し長くなりましたが、大事なことだと思ったので書いてみました。

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