
今から18年ほど前の事ですが、200万円近くのお金をかけて通っていた自己啓発セミナーがあります。
「新卒の大学生が入社したい企業ランキング」で30位以内に入るほど全国的に注目されている企業だったことや、「その会社が推奨しているセミナーを一通りすべて受けると目標達成力が格段に上昇し、あらゆる分野の仕事で成功できるようになる」と言われていたからなのですが、じっさいすべて受けてみてどうだったかと言えば残念ながら私自身はあまり変わった部分はませんでした。
今から思えば当時の自分ではそのセミナーを活かせるだけの実力や経験が全く足りていませんでしたし、また何よりそのセミナー内容が自らの性格に合わない部分が多過ぎました。
ですから多くのお金や時間を費やしてしまってもったいないことをしてしまった部分もあるのですが、ただやはり今でも役立ついくつかの貴重な学びを得ることも出来ました。
その内の一つが「目隠しをして広い部屋を歩き回るという体験型アクティビティの経験」です。
これは困難や障害の必要性であったり大切さを実感するために行われたもので、
始めはかなり広い会議室を机も椅子もない障害物ゼロの状態にし、その中を目隠しをした十数名がただただ歩き回るということを体験させられます。
すると誰かとぶつかるかもしれないことや、自分が会議室の中のどの辺りにいるか分からなくなるため、壁にぶつかるかもしれないという恐怖も相まって、時間と共にだんだん歩き回るスピードが落ちてしまいます。
意外なことですが、何にも無いからこそ反って生まれてしまう恐怖心があり、更には自分がどこにいるのか、どこに向かったら良いのかも分らなくなってしまいます。
そのことを実感した後で、次に私たちには分らないよう障害物として机が適当な位置に数台設置され、引き続き目隠しをままで思い思いに歩き始めることを再開します。
そうすると今度は机にぶつかるのが怖くて最初は恐る恐るゆっくり歩いてしまうのですが、ただ何度か机にぶつかるうちに机の配置位置を覚えるようになりますから、10分も歩き回っていると「自分が今どの辺りに居るのか」ということが頭の中でイメージ出来るようになってきます。
そしてそこまでいくと面白いもので障害物が設置されている付近だと安心感が得られて歩くスピードが速くなりますし、位置を覚えた机に不用意にぶつかることもなくなりますから、じつは障害物は危険や恐怖を感じてしまう存在である一方で、同時に羅針盤のような役割を果たしているということがだんだん分ってきます。
「困難や障害の必要性であったり大切さ」というのは正にこの部分にあって、辛いことや苦しいことがあるからこそ自分の現在地が分ったり、障害を避けるための道筋が見えるようになってくるようです。
「苦労は買ってでもしろ」という言葉があるのも、このような理由からかもしれませんね。
人生何事においても思ったようにいくことはせいぜい二割くらいのもので、八割方は失敗か望まぬ方向に進んで行くと言います。
ですがこの困難や障害の必要性・大切さというものを知っていれば、物事がうまく進まないことも肯定的に捉えられるようになり、苦にならなくなってくるのではないでしょうか。
私の場合はこの目隠しして歩き回るという経験がきっかけとなって、少しずつ困難や障害といたものを前向きに受け入れられるようになったように思います。
高い授業料と多くの時間を費やしましたが、この経験については今でも良い教訓となっています。